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2009年 11月 22日

中浦ジュリアン記念碑




中浦ジュリアン記念碑_e0127416_15294029.jpg


大島大橋の帰り道、標識につられて立ち寄った“中浦ジュリアン記念碑”

その後資料を調べてみると、その人生は使命に満ち、過酷で壮絶なものであったことを知りました。

長崎には、キリスト教弾圧の時代の悲惨な出来事を知る貴重な文化遺産が至る所にあるのです。

歴史が苦手だった私・・・

今更ですが、少しずつ勉強していきないなと思った次第でございます。

遅っ!


~以下、yahoo!百科事典より抜粋~

Nakaura Julio

(1567―1633)

天正(てんしょう)遣欧使節の1人。肥前(ひぜん)国大村領中浦(長崎県西海(さいかい)市西海町中浦)に生まれ、1580年(天正8)有馬のセミナリオ(小神学校)の第一期生となる。少年使節団の副使に選ばれ、82年長崎港を出帆し、ローマにて教皇に謁見した。禁教令下の90年に帰国し、翌年天草においてイエズス会へ入会した。1601年(慶長6)マカオの神学院に送られて倫理神学を学び、08年司祭となった。14年のキリシタン禁教令のときには日本に残留し、その後20年間潜伏して有馬(ありま)、口之津(くちのつ)(いずれも長崎県)を中心に布教活動を続けた。32年(寛永9)末小倉(こくら)(福岡県)で捕らえられ、翌年10月21日長崎西坂で4日間穴吊(づ)りの刑に処せられ殉教した。そのとき「私はローマへ行った中浦ジュリアン神父である」と叫んだという。

[ 執筆者:宮崎賢太郎 ]


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by akepot | 2009-11-22 16:03 | a view


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