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2013年 03月 24日

ハナムケトシルス

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先月満100歳でじいちゃんは天寿を全うしあの世へと旅立った。

じいちゃんは負傷兵であった。

じいちゃんと言っても実際には伯父にあたるのだが、物心ついた頃より「おじいちゃん」と呼んでいた。

(母は8人兄弟の末っ子で、年の離れたお姉さんの旦那さんだから義理の伯父と言うのが正しいと思う。)

私の記憶の中には仕事をしている姿は無く、ずっと前からご隠居さんであった。

シロというスピッツの散歩と愛車のクラウンをピカピカに磨くのが日課というか、、、それしか知らない^^;

95歳まで運転をした。

三角窓にベンチシート、当時の車にシートベルトなど無い。

警察につかまれば「無いものは無い!」でまかり通していたようだ。

最後の最後に事故を起こし、その車はマニアか誰かに引き取られ形見としては残らなかった。



幼い頃、犬の散歩について行きじいちゃんに尋ねた。

「おじいちゃんのほっぺは何で凹んどっと?」

答えは

「鉄砲の玉の当たったっさ~」

「ふーん。。。」

今考えるとなんちゅう無慈悲な子供!薄情な子供!人の痛みの分からぬ子供!!!

ただ単純に、疑問が解けたというそれだけの感情しか持ち合わせていなかったと思う。




通夜の夜に聞いた話では、じいちゃんが結婚したのは太平洋戦争のさなかだったらしく、新妻を残し現地へと赴いたそうだ。

生きて伯母のもとへ帰れたことは当時としては喜ばしいことではあったと思う。

だけども頬を撃たれたじいちゃんは“咀嚼”がままならないというハンデを背負うこととなったのだ。

食事をするときはいつもすり鉢で擦ったものしか食べられない。

食べる喜びのひとつである“食感”を感じられない生活が人生の3/4くらいだったと考えると、食いしん坊の私にとっては耐え難い苦痛と感じる。

私だったらきっと「あの忌まわしい戦争のせいで!」なんて思うのだろう。

だけどお国のためにと生きた世代は考え方が違うのだ。

告別式で読み上げられたばあちゃんの言葉の中には、「その傷こそが私たちの誇りである。幸せな男であった。」と結んであった。

二人の間に鎹(かすがい)は無かったけれど、アロンアルファでくっつけたようにぴたりと寄り添った夫婦であったのだから、じいちゃんもきっとそう思っていたに違いない。




食事はおろか水すら受け付けなくなった入院中でさえ、「俺はどこも悪くない。俺はまだ死にたくない。家に帰る。」と言ったと母から聞いた。

じいちゃんにとってこの世はまんざらでもなかった様子と安堵した。

100歳を超えてのお葬式では、悲しむよりも長寿を祝うと聞き及んでいたので、お通夜は線香の火を絶やさぬように従兄弟や伯母とビールを飲みのみ楽しく語り明かした。

だけどさすがに切なくなったのは、

お骨を拾う時に灰の中に焦げたホッチキスの針を見つけてしまった時。。。

無数の針が右腕の骨に沿って転がっていたのには驚いた。

頬だけじゃなかったんだな。。。



傷ついたカラダから解き放たれた今、

老老介護に明け暮れ96歳で喪主を務めたばあちゃんのことを空の上から優しく見守ってあげて欲しいと思う。

私らしくない記事になってしまったけれど、じいちゃんへの餞としてこんな記事を書いてみました。

最後まで読んで下さって有難うございました<(_ _)>

写真は、樹齢百数年 波佐見町田の頭のしだれ桜です。


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by akepot | 2013-03-24 22:36 | a view


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